鍵がもたらす精神的な影響

人間はある年齢になると持つことを許されるものがあります。
それが鍵です。
その年齢は人それぞれ、置かれた環境や育った環境によって異なります。
親が共働きで面倒を見てくれる人がいないけれど、一人で自宅に帰れる子は、まだ周りの子供たちが家の鍵というものを持っていなくても、持たざるを得なくなります。
カギっこはできればいないに越したことはないのでしょうが、今のこの不況の世の中、父親だけでなく母親も働かないと、子供を養い、自分たちの生活を守るのはむずかしいのでしょう。
けれど、そんな小さなうちから鍵を持たなくてはならなくなった子は、果たしてかわいそうなのでしょうか。
鍵を持たずに済み、自宅に帰ればドアを開けてくれ、おやつを用意しておいてくれる母親がいてくれたら、もちろんその方が幸せに決まっています。
ただし、そうした子供にとって母親が家にいることは当たり前のことですし、鍵がどういう意味を持つものかということも、カギっこに比べて理解するのが遅くなるのではないかと思います。
カギっこで普段から家のカギを持たされている子供は、親から鍵の大切さをしっかりと言い含められているでしょう。
これがないと家に入ることができず、そして失くすと親からこっぴどく叱られるということが幼いなりにもわかって、大事にしようとするでしょう。
たとえその鍵が家にとってどんなに大事なものであるということを理解できなくとも、これがないと自分がつらく、大変な目に遭うということを理解するのだと思います。
そうやって子供時代をカギっこで育った人は、おとなになってから鍵がもつ意味を再び理解するのではないでしょうか。
鍵が家を守るものであり、鍵によって家をしっかり守って、そして外出できるということをきちんと理解している人は、めったに鍵をなくすということなどないでしょう。
鍵とは、自分自身がいるべき場所を示すものであり、その場所を守るものであるという認識を持たせるものではないかと思います。